アフガンへの往路

アフガニスタンまでの往路を要約すると:
1. テンシャン山脈を越えて,イシク・クル(清池)に達し,タシケントを経てサマルカンドに到着した。
2. サマルカンドからシャフリ・サブス(Shakhrisabs) を経て鉄門に入りアム川を渡って活国(Kundus) に至った。(鉄門とは:7.6 Tashqurgan Gorge のような峡谷の隘路だろう。)
3. 鉄門を経てDerbent経由, テルメス(Termiz) に至り,クンドゥス(Kunduz) へ向かったが,クンドゥスへのルートとして以下の2案を考えてみた。
1) アム川を渡って,現アフガニスタンを陸路クンドゥス(Kunduz) へ向かった。あるいは,
2) テルメスよりアム川を舟で上り,ShirKhan Bandar 付近でアフガニスタン側へ上陸し,陸路クンドゥスへむかった。
4. クンドゥスから,活国王の設(シャド)の勧めで,現アフガニスタン北部に位置する縛喝国(バクトラ国, 現在のバルフ(Balkh))へ行くことになった。
5. バルフから南下してDara-i-suf を経由してバーミヤンへ至ったと記されている。
本ルートに関して,Google Earth にて以下のように想定した。
(Balkh → Dara-i-Suf → 峠(標高3,522m) → Hazarcheshma 峠(標高約3,500m) → Zardgia → Band-e-Amir (美しい湖) → バーミヤン (Bamiyan))
このBand-e-Amirは,自分がバーミヤンを訪れた際に,現地の案内人より是非行くように勧められたが,時間的な制約でいけなかった場所である。
6. バーミヤンから東進してShibar 峠を越えてカピシー国(王都:ベグラム Bagram)に至り,そこからAlassay峠を越えて濫波国(ランパカ,現ラグマーン Laghman) に至る。
7. そして,アフガニスタン東部に位置する那掲羅喝国(ナガラハーラ国,現ジャララバード)に着いた。
ここから現パキスタンのペシャワールへ向かうことになった。

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