バーミヤンへ

2006-07-08(Sat)
送電線の建設現場へ同行しているA社のプロマネは,ヒンズー教徒であるが仏教遺跡であるBamiyan には非常に興味を持っていた。ただ,彼は異教徒であるために,仏教遺跡へ行くことを躊躇していたようであるが,仏教徒である当方となら行くことができると考えたようだ。
そこで,プレクムリ(Pul-e-Khumri)の宿舎に滞在中に週末となったために,これを機会にと,急遽二人で行くことになった。
ただ,運転手,警備員ともにBamiyan へは行ったこともなく,勿論経路など知るよしもなし。ただ,現地の言葉を話せることだけを頼りに,何の準備もなく出かけることとなった。このルートは,アフガニスタン全図上において幹線道路ではなく,地方道路として示されていたため,まさかこのような地方道を通るとは予想だにしていなかった。
今回の経路をGoogle Earth によって確認したのでその経過地を以下に示す。
1. Pul-e-Khumri → 2. Doshi Bridge → 3. Kondeh Sang → 4. Kalangozar → 5. Sehpesta → 6. Aziz Od Din → 7. Tala Wa Barfak → 8. Karimak → 9. Doab-Mikh-Zarrin → 10. Darrahe Jalmes → 11. Branch to Bamiyan → 12. Zahak City → 13. Bamiyan

 

Bamyanへのルート図(赤線で示す。)

Doshi 橋。この橋を渡って右折してバーミヤン方面へ。 バーミヤンへの道路標識
少し登りの道をだらだと進んで行く。 上流の5,000m級の山々からの雪解け水は,かなり冷たいと思うが。
山腹を削っただけの道路。ここを大型のトラックが通過してゆく。 延々と続くバーミヤンへの道
道路か川か? このような道路もある。 上流からの水は赤茶色である。
山並み 川沿いの道路
住居の後方に見慣れぬ山が 初めてみる山容。この地域はTala Wa Barfakらしい。
二度とみられないだろう景色 最高地点付近での記念写真。これで,証拠ができた。残念なのは,GPS をもって来なかったこと。
最高地点から下ってゆく道路。これでも,幹線道路のようだ。 山裾に人家があった。車もあるようだ。このような交通の不便な所に人家がある。田畑などもなく,どのような仕事で生活の糧を得ているのであろうか?
バーミヤンへ辿り着けるかどうか不安な道路であった。 この道で大丈夫だろうか?
同行のA社プロマネによると,鉱物(種類は思い出せない。)がむき出しになっているとのことであった。 それでも進んで行く。
それでも進んで行く。 それでも進んで行く。
峡谷を右へ左へ 渓谷は次第に狭くなってきた。
渓谷は次第に狭くなってきた。 昔の要塞であろうか。これ以上の適地はないだろう。(Ghandak, Ancient fortかも)

(上の写真と次の写真の間に峡谷を通過(約14分を要した。)
この間は峡谷を通り抜けていたために,写真は撮れなかった。幅は10m程度。両側の岩の高さは不明。恐らく100m 以上の切り立った岩に囲まれていたと思う。この間,もし地震があれば,恐らくイタリア・オーストラリア国境のエッツ渓谷(海抜3,210m)の氷河で見つかった約5300年前の男性のミイラのように,車と一緒に見つかられるのか。といらぬ想像をしながら,早くこの狭い峡谷を抜けることを祈っていた。この間,非常に長く感じたが,写真からの情報より実際には14分程度であった。この14分間,Tashqurghan Gorge であれば,時速40kmで恐らく30秒もかからないだろうから,相当長い峡谷である。勿論,車の速度は10km/h 以下であったと思うが。ここも位置を特定できていないのが,非常に残念である。今回に限り,GPSを持ってきていない。「後悔先に立たず」とは,よく言ったものだ。Google Earth より,位置の見当は付くが確証は持てない。

やっと峡谷を抜け出した。 ついにBamyan への分岐点へ到着した。やっとCharikar-Bamiyan 道路へ出てきた。
ここで検問をうける。そして,右折。Bamyan へ向かう。 Bamyan への山並み
Bamyan への山並み Bamyan への山並み

 

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